変態って、褒め言葉に思える。

家までの帰り道。


お酒を飲んでいたであろうおじさん達が「おやすみなさい」と言って解散している横を通り過ぎた。


「ちゃんと帰れますか~?」と少し酔った人を気にかける声。


その会話がとてもかわいく思えた。



別れ際の「おやすみなさい」が好き。


うまくいえないけど、心があたたかくなる。


言い合える関係性も限られてるっていう特別感。


将来自分のお店ひらくなら、夜お客さんを見送る時に店先で言いたいセリフ ナンバーワン。



あとは。


イヤホンで音楽を聞いていて、リズムをとっているつま先が好き。



クールで大人しそうに見えて、実は激しい音楽聴いてたりするのかな~とか、


その人のこと何も知らないけど、
つま先だけで“好き”の気持ちを垣間見れた気になる。



日常のなかで、
人の“少しだけコアな部分”に図らずして触れた瞬間、

「見てしまった」
という謎の特別感と背徳感が湧き上がる。


ときめきと、かわいい、という気持ちがどわっと心に広がる。


変態じゃんって言われるけど、そもそも変態ってなろうと思ってなれるもんじゃない。


だったらもはや褒め言葉に思える。



そもそも。普通、ありきたり、無難。
って何だろう?


それって何を基準にしているのか?


それぞれ違った価値観 センス 感覚を持っていて、
違うから面白い。


なのにそれを隠して生きてる人は多い。



一人ひとり見てきた景色も、関わってきた人も、かけられた言葉も、抱いた感情も全部違っていて、


だから一人ひとりがちがっていて当たり前なのに。



「みんなと一緒」なんて有り得ないし、
そんなのおそろしくつまらない。


自分の心が傾く方、感情が動く方へ素直に生きる人でありたい。



自分の“好きの感覚”を大切にしたい。


だからわたしは、人との別れ際は丁寧にしている。


チャンスがあれば「おやすみ」って言いたい。


そういう、小さなこだわりの表現を積み重ねる。



自分らしく生きるって多分、こういうことでもあるのかなぁ。


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道って沢山の人が歩いて、手入れしてできたもの...
当たり前の神秘。



2018.01.28