カコとイマとこれから。

体調をくずして、部屋に閉じこもっていた期間、
およそ月半分。全然心が動かなかった。


40度近い熱と体が痛くて重くて寝返りうつのさえつらい。



感受性を働かせる余裕なんて、全くなかった。



だんだん治ってきて元気になってきたとき、
無性に外に出たくなった。



なにも感じられないことが、恐ろしくつまらなかった。



外の空気を吸いたい!誰かに会いたい!




そうすることが自分の感情を揺らしたり、
言葉を生み出したりすることに繋がるって分かったから。



カラカラに乾いた心に水を与えるイメージ。



まだ治りかけで、歩く体力も回復してないのに、気づいたら電車に乗って新しい場所へ出かけていました。



この一週間後また40度近く熱を出したのは秘密…






ということで前置きも更新も長い間があきましたが、アウトプットは続けていたのでひさびさに更新します。





唐突かつ私事ですが、卒業が決まりました。





本当にどうなるか分からなかったので、嬉しいというよりは、ホッとした。




そして振り返ってみたんです。大学生活を。




つい、喉元過ぎれば熱さを忘れる、で、忘れていたことが思い出されて。





最近あまり話してなかったことだけど、
歴史として記しておきます。





大学生活では、原因がわからないつらさに苦しんで悩んでた時間が多かった。





なぜか分からないけどベットから動けない。




大学向かう途中の駅のホームから動けない。




学校についても吐いてしまう。




頭痛が続いたりめまいがしてまっすぐ歩けない。




がんばって外に出ようとすると涙が溢れる。





…思い出せば色々出てきて。





行かなきゃいけないのは頭で十分わかってるからこそ、
焦る気持ちと罪悪感でつぶされそうなったこと。





みんなが当たり前にできてることが自分にはできない悔しさ。




本当に悔しくてみじめでした。




だからこそ、卒業というたった二文字が、私にとってはすごく大きくて。




いろんなつらさを乗りこえてきたね、と認めてもらえた気がしました。


乗り越えてきたことに、プライドを持ってる。




こんなふうに振り返っていて、
去年あたりからよく言われるようになった言葉を思い出しました。




「強くなったね」




強くなりたい。




思えば小学生の頃から、ずっとずっと願ってたこと。





やっと、周りの人から言ってもらえるくらい、強さを手に入れることができたと、心から嬉しくて。



そんな自分を誇らしく思えたりして。




なぜ、強くなれたのか、自分の中で納得いった答えを見つけました。




それは、
“目に見えないものを信じられるようになった”
こと。





目に見えないもの。



たとえば人の好意。


褒められても、受け入れられなかった。自分が嫌いで憎かった。


いまは、褒められたら素直に喜ぶことができるし、その方が楽しい。嬉しい。




友情。


ささいなことで嫌われてると思ったり、ほかの人と比べて、自ら存在を消した。



ほんとはすごく好きで、一緒にいたかったのに素直になれなかった。



今では素直に気持ちを伝えられる。
「あなたに出会えてよかった」と。大切であると。




可能性。


自分の可能性なんて、見てもいなかった。




少しずつできることが増えて、それを見ていてくれる人がいて。



「もしかしたらもっと出来るかもしれない」
そう思いはじめたことがはじまり。



そして、私にもできたんだから、みんなにもできる!って人の可能性も諦めないひとになろうと強く決めた。





未来。


変えることのできない生まれた環境から、未来まで悲観していた。



けど、未来をつくっているのは他ならぬ自分。それに気づけた。



今からじゃ想像もできないくらい、素敵な未来が待ってるって信じられる。




価値。


人からの評価でしか、自分の価値を決められなかった。



人から求められないと、価値がないと思っていた。



そんな終わりのないものに、満たされることのないものに、気づけなかった。



今では自分で自分の価値がわかる。



実は誰よりも自分の価値を知ってるのは自分。

信じられるのも自分。





こんなふうに、大学入学したての私からじゃ想像できないくらい、人が変わったと自分でも言える。




いかにきっかけを掴んでいくか。



そして、心から変わりたいと思えるかどうか。



心の声に気づいてあげること。


素直になること。


本当はどうしたかった?




長年の考え方の癖は今でもたまーに、出てくるけど、
それでも折れない自信はあります。




自分を信じて、周りの人を信じられてるから。



ひとりじゃないことに気づいて。




周りの愛を受け止めることから、私は始まった。




そのとき、嬉し涙が止まらなかったことは、忘れません。




そんな幸せへのきっかけが、
誰にでもきっとある。訪れる。





わたし自身も、
誰かの幸せのきっかけを与えられる人になりたい。




その幸せの瞬間に立ち会えたら、最高に幸せ。




強くて優しいひとであれ。




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好きな青

変態って、褒め言葉に思える。

家までの帰り道。


お酒を飲んでいたであろうおじさん達が「おやすみなさい」と言って解散している横を通り過ぎた。


「ちゃんと帰れますか~?」と少し酔った人を気にかける声。


その会話がとてもかわいく思えた。



別れ際の「おやすみなさい」が好き。


うまくいえないけど、心があたたかくなる。


言い合える関係性も限られてるっていう特別感。


将来自分のお店ひらくなら、夜お客さんを見送る時に店先で言いたいセリフ ナンバーワン。



あとは。


イヤホンで音楽を聞いていて、リズムをとっているつま先が好き。



クールで大人しそうに見えて、実は激しい音楽聴いてたりするのかな~とか、


その人のこと何も知らないけど、
つま先だけで“好き”の気持ちを垣間見れた気になる。



日常のなかで、
人の“少しだけコアな部分”に図らずして触れた瞬間、

「見てしまった」
という謎の特別感と背徳感が湧き上がる。


ときめきと、かわいい、という気持ちがどわっと心に広がる。


変態じゃんって言われるけど、そもそも変態ってなろうと思ってなれるもんじゃない。


だったらもはや褒め言葉に思える。



そもそも。普通、ありきたり、無難。
って何だろう?


それって何を基準にしているのか?


それぞれ違った価値観 センス 感覚を持っていて、
違うから面白い。


なのにそれを隠して生きてる人は多い。



一人ひとり見てきた景色も、関わってきた人も、かけられた言葉も、抱いた感情も全部違っていて、


だから一人ひとりがちがっていて当たり前なのに。



「みんなと一緒」なんて有り得ないし、
そんなのおそろしくつまらない。


自分の心が傾く方、感情が動く方へ素直に生きる人でありたい。



自分の“好きの感覚”を大切にしたい。


だからわたしは、人との別れ際は丁寧にしている。


チャンスがあれば「おやすみ」って言いたい。


そういう、小さなこだわりの表現を積み重ねる。



自分らしく生きるって多分、こういうことでもあるのかなぁ。


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道って沢山の人が歩いて、手入れしてできたもの...
当たり前の神秘。



2018.01.28

初雪とともに、ブログはじめました。


初雪がすごかった。

あんなに雪が降ったのをみたのは大学受験期が最後な気がする。

それは第一志望受験日前日で滑り止めの大学を受けた帰りに電車がとまり、家に帰れなかった思い出。。

ちょっと苦い...
その日を経て今があるんだけども。


と、まあいまはこの話はどうでもよい。


本題へ。


“自分にしかないアウトプットがしたい”


小さい頃からずっと、この思いは変わらない。


歌やダンス、絵を描くこと、文章を書くこと...
表現することは、生きてることだと思ってる。



だから、それを感じられる場所や時間、そして、人に魅力を感じる。


さらに言えば、自分の表現への共感は、とんでもなく嬉しい。



「ああ、生きてる」と感じられる瞬間がたまらなく幸せ。



ライブハウスで音楽に体をあずけてる時間、

美味しいものを口に入れた瞬間、

あつあつの湯船につかった瞬間、



幸せ。好き。という感情で、
頭や心がいっぱいになる。


それらが溢れて、ため息をつく。




私は、私である意味を感じると“生”を感じる。



「これ、誰にも言ったことないんだけどね...」

「こんなこと言ったのあなたがはじめて」

「一緒にいると素でいられる」


あなただから、という気持ちに心が弾み、応えたいという想いが膨れあがる。




最近、頭で考えることが増えた。


自分なりに納得するまで考えを深めることは、嫌いじゃない。


自分なりの答え を出すのも好きだ。


そして、自分なりの解を誰かと語り合うのも好きだ。


そこには否定はなくて、その人の人生を垣間見れるから。



話し合った末に、ひとつの解にまとまる瞬間、

全てがものすごいスピードで繋がったとき、

アドレナリンが出て、喜びを感じる。


だけど。


考えるだけでは満足できない。

そう気づいてしまった。



もっと心で感じたい。

感じたままに動いて、表現したい。



それなのに頭で考えてしまう理由。
それはきっとコンプレックスからきてる。


他責で、終わりのない苦しみを経験したから。


先が見えなかった。

希望なんて、持てるはずなかったあの頃。




だから、自責を求めて頭で考えている。


あの人の怒りの根源はどこにあったのか

あの言葉の意図はなんだろうか

今していることの意味は?




この考えはもちろんこれからも大事にしたい。


考えること放棄したい訳では無い。


けれど、

ほんとはもっと自由な表現者でありたい。



悲しければその場で泣いたっていい、

疑問はぶつけてもいい、

間違っててもいいから感じたことを伝えたっていい




恥をかけ。さらけ出せ!


これは私にとっては挑戦。


子どもの頃出来ていたことが、いつからかできなくなった。

感じることよりも考えることに集中してしまうからだろうか。



自分にしかないアウトプット。
ほかの人からしたら、無意味かもしれない。


けど、いつか表現者であること以上に、発信者になれたら。

その時は、誰かにとって意味のある発信をしたい。


いまはそのための表現の時期。

その時なにを感じ、どう思ったのか。
感情のままにさらす行為。



自分がどうしたいか、は、自分しか知らない。


だから私はもっと、自分を見つめたい。


そして表現したい。


そのためのブログ。

自己満くらいがちょうどいい。


そう言い聞かせて更新していきます。


お付き合いいただけると、とっても嬉しいです。


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強くて綺麗なものに、ハッとする。


2018.1.23